2015年9月21日月曜日

まさに大地の藝術! ~越後妻有アートトリエンナーレ2015とその周辺③~

1300、十日町駅着。


駅には高校時代に訪れたことがあるから、これが20年ぶりくらいだと思うけど、あの頃の駅がどんな感じだったかは、もはや覚えていない。町自体には昨年父の還暦祝い旅行の際に昼食をとるために訪れた。

まずは、十日町市博物館をめざす。


ここには、まさに大地の藝術とよぶに相応しいものが展示してある。


新潟県で唯一の国宝、「火焔型土器」。十日町市の笹山遺跡で1980年代前半に行われた調査により発掘された。今から5000年ほど前、縄文中期のものだ。土偶もそうだけど、縄文人の造形にかける情熱には舌を巻く。そして、このような精緻な土器が、5000年後の現在に発見された奇跡に驚嘆させられる。これを作った我らの祖先も、まさか自分が作ったものが5000年後に伝わるなどと、思っても見なかっただろう。

国宝と呼ぶに、これほど相応しいものはない。

ただ、私にはちょっと引っかかることがあった。それは、昨年、写真家の田附勝さんのトークイベントに参加した際に、田附さんが、展示してあるような土器は、整いすぎていてどこか違和感があると言うようなことをおっしゃっていたことだ(私の記憶はあまり正確ではないかもしれないけど)。それを聴いたときは、僕は、田附さんはちょっと考えすぎなんじゃないかな、と思ったが、あれはずっと引っかかっている。田附さんは、今まで膨大に発見されている縄文土器のうち、研究室の奥底に眠っている欠片のようなものの撮影に取り組んでいる。写真を通じて「縄文人が見ていたような土器の姿」を浮かび上がらせようという。



博物館内のこの引き出し、1つごとに土偶や石斧などの小さな欠片がたくさん入っている。笹山遺跡の規模の大きさが伺える。

他の展示も興味深かったが、じっくり見るにはやはり残念ながら時間が足りない。日帰りは無理があったなあ。


博物館内にあった眞田岳彦「『大地を包む』―風土の技」。



博物館を出て、飯山線の線路を渡る。


今回の芸術祭で1、2を争う話題作、目の作品「追憶の成立」。話題なのはネタバレ厳禁だからで、このコインランドリーの中が作品になっている。週末ともなると、たいそうな行列だとか。この日(水曜日だったが)も、ご覧のように行列ができていた。で、私は回避した。

おまえはあれか、ラーメン屋になら1時間以上でも並ぶくせに、現代アートのためには1分でも並べないというのか!?という批判は、甘んじて受けるつもりだ。でも、作品には見るべき「時」というものがあって、今回は自分にとってはそういう時ではないと判断した。

ガイドブックによると、「実は別の店だったのではないか、実は別の道だったのではないかと『そうではなかった可能性』を体験できる空間をつくりだす」とある。「そうではなかった可能性」、私もいつも考えている。

ちなみに、僕はコインランドリーが好きなのだが、このサイトには常々感心させられている。

この地域の中心施設、越後妻有里山現代美術館[キナーレ]。


中には「明石の湯」という温泉もあるんだけど、残念ながら水曜休館。芸術祭期間中くらいは無休にしてくれても良いと思うんだけどなあ。


蔡國強の「蓬莱山」。蓬莱山は中国の伝説上の島で、神仙が住み、不死の薬、金銀の宮殿があるという。秦の始皇帝が徐福を派遣したが、彼はそのまま日本に来たという伝説もある。

美術館内にも当然いくつかの作品があるのだが、不思議なもので、美術館の外に展示してある作品の方が活き活きと魅力的に見えた。


十日町産業文化発信館いこて。中では、研究員が地域の家庭にホームステイし、さまざまなエピソードの聞き取り調査を実施し、独自の視点で収集した資料が展示されていた。本来なら一つ一つとても興味深いはずだが、残念ながらこの頃には私はかなり疲れてしまっていて、集中力が続かなかった。


ところで、この「いこて」の立つ場所には、かつて「深雪観音堂」があったという。これは、1938年1月1日、「旬街座」という映画館の屋根が2メートルの積雪で崩壊し、死者69名、重軽傷者92名を出した大事故の慰霊のために建てられたという。しかし、老朽化のために現在は撤去されている。堂内には「雪地獄 父祖の地なれば 住み継げ里」という句が掲げられていたという。十日町は、日本有数の豪雪地として教科書では必ず取り上げられる町である。


まっすぐ駅に続く商店街のアーケードに、女性が机を出して受付をしているのが目に入ったので、パスポートにスタンプを押してもらって2階に上がった。一緒に入った品の良いおばあさんにこの作品の名を問われ、慌ててガイドブックをめくった。黄世傑「合成ミクロコスモス2015」。「小宇宙という意味ですね」と一応お答えした。へえ、そうですか、というお返事をいただいた。

かつてバーとして使われていた店内が作品となっている。おばあさんが去った後、1人になった私はバーカウンターに立ってみた。


かつてこの店をやっていらっしゃった方は、何歳くらいだったのだろうか。男性か、女性か。何年ほどおやりになっていたのだろうか。どのような客を、このカウンターからもてなしただろうか。いま、どこで何をやっているのだろうか。そういったことを想像した。


1614、飯山線で十日町駅を出る。津南に向かう。

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