2015年10月18日日曜日

南東北100時間の旅④ ~山形国際ドキュメンタリー映画祭とその周辺~

10月8日1630に山形駅に着き、「リッチモンドホテル山形駅前」にチェックイン。部屋に荷物を置き、ジャズ喫茶「オクテット」に向かう。「オクテット」は僕が初めて入ったジャズ喫茶だ。6年前、やはり山形国際ドキュメンタリー映画祭で山形を訪れたとき、当日宿泊したホテルに最も近い喫茶店だったので入ることにした。これは現在でも変わらないが、僕はジャズを聴くのは好きだけど、曲や演奏者についての知識はほとんど皆無だ。ジャズ喫茶に入ろうなどと思ったことはだからそれまで1度もなく、旅先だからこそ入る勇気が持てた。で、初めて入って、カウンターに座り、マスターに注文を聞かれ、メニューの所在をたずね、反ってきた答えが「ウチは喫茶店ですから。」私は「じゃあコーヒーを」と答えるのが精一杯だった。それ以来、僕は「オクテット」を山形滞在時の「定カフェ」にしている。注文は毎回「コーヒー」だ。今回の旅は基本的には在来線を利用するはずだったが、一ノ関駅から仙台駅までズルをして新幹線に乗ったのは、この店に立ち寄る時間を確保するためである。



が、今回もマスターは不在だった。前回訪問時もそうだったので、2回連続。これで4年間マスターに会えていないことになる。残念。


山形市中央公民館に移動して、映画祭の開会式に出る。山形は2年に1度、山形国際ドキュメンタリー映画祭の度に訪れる。6回連続6回目の訪問だが、開会式に出るのはこれが初めてだった。山形市長ら、幾人かの形式的な挨拶の後、ポルトガルのマノエル・ド・オリベイラの作品『訪問、あるいは記憶、そして告白』。生きることと場所との関係性を綴った詩的なドキュメンタリーだった。




ラーメンマニアならご存知であろう、冷やしラーメンの名店「第二公園 山長」で有名な第二公園。僕は残念ながら未訪。


途中、閉店間際の地元スーパー「ヤマザワ」に駆け込む。



ああ、そういえばあそこには屋台が出るんだったなあ。山形に来る度に前を通るけど、今回も入らなかった。いつか入ろうとずっと思っているのだが。


夜は特に食べたいものも思い浮かばず、「ヤマザワ」で「塩くじら」と焼鳥4本を購入し、リッチモンドに戻って無料で提供されているドリンクバーで流し込む。


「塩くじら」は生臭く(クジラとはもともと生臭くなりがちなものだ)、3切れ食べてギブアップ。部屋に戻り、風呂に入り、眠りに就く。



9日0730朝食。リッチモンドは朝食がたいへん評判だ。実際に満足のいく内容だった。



荷物をまとめ、0915にチェックアウト。山形城跡にある霞城公園に向かう。




公園内にある山形県立博物館には有名な土偶が展示されている。昨年、彼女には東京国立博物館でお目にかかった。博物館は0900から開いているのか。知っていたら朝イチで見学してもよかったな。でも今回は時間がない。


同公園内の最上義光大先生像にもご挨拶。100円バスで市街地中心部へ。


映画祭会場の一つ「フォーラム山形」で小林茂監督の映画『風の波紋』を見る。これと、岡本まな監督『ディスタンス』が被っていて、どちらを観るかで迷ったのだが、結局前者を選んだ。新潟・妻有地域が舞台のドキュメンタリー。縁深い私が感情を動かされないはずがない。すばらしい作品だった。小林さんは新潟・旧下田村の出身だそうだ。下田は私の出身地である加茂市の隣。すばらしい村で、私は大好きだ。妻有地方にも9月に「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」で訪れたばかりだ。非常に文化度の高い地域であることも知っている。そこに移住した人びとや、古くからの住人たちの暮らしぶりが映画には描かれている。移住者の1人が「田んぼはねえ、はまってしまうんですよ」と田んぼにつかりながら言っていたのが印象的だった。過疎地での、昔ながらの手仕事を中心とした生活に「はまってしまう」。そういう幸せが、いつまでも許されることを願う。ラストはわけもわからず涙がこぼれてしまってビックリしたが、上映後のティーチインで、映画の制作に参加した方のうちの一人が、「あそこは涙が出てしまう」と言っていて、ああ、私だけではないのだな、と思った。来年には東京・新潟などで劇場公開という。それを知っていれば『ディスタンス』の方を見ていたと思うけど。もちろん、見て良かったことには違いないし、劇場公開後も必ず見に行くつもりだ。







お昼は、「フォーラム」から15分ほど歩いた「ジャイ」。本格的インドカレー屋さん。ちょっとビックリするような場所にある。 席数もカウンター4席しかない。私でちょうど満席。他は皆女性だった。






ムグリーカリー(鶏のカリー)、 ヴェジタリアンカリー(店主曰く、ニンニクもタマネギも使わない本格派)、アンダーマサーラ―(卵入りマサーラー)など。




デザートとマサーラーチャイ。

僕は見ていなかったが、事前に同店のホームページを見ると、何だか気難しげな店主だと思うかもしれない。が、実際にはそんなことはなく、インドの地理・歴史とカレーとの関係を話すのが好きみたいだ。ただし、「デカン高原」だの「ジャイナ教」だのといった単語が平気で出て来るので、聞く側にはそれなりの地理的、歴史的知識が求められる。僕はもちろんwelcomeで、楽しく聞かせてもらった。「テルグ語」なんていうインド南部の言語のことも教えてもらった。

が、もともとこの店自体が「フォーラム」から遠い上、カレーを食べてご主人と話してから「フォーラム」に戻らねばならず、結果、見ようと思っていた中国のドキュメンタリー『離開』の放映開始に間に合わなかった。どうすべきか少し時間をかけて思案し、1400からのネパールのドキュメンタリー『銅山の村』を見た。これも興味深いドキュメンタリーだった。ネパールでかつて銅の採掘と精錬で栄えた村が舞台。すでに製銅業は途絶えていたが、政府がその復活の可能性に向けて調査をするとかで、村人たちは期待を胸に、かつての製銅作業を再現する。カメラに映る風景がすさまじい。こんなところに住んでいるのか、と驚くほどの鋭峰と急斜面の連続。そこを別にどうと言うこともなく人びとが往来する。さすがは世界の屋根・ヒマラヤ山脈。奥さんとの馴れ初めを嬉しそうに語るご老人や、かつてのカースト差別と現在におけるその薄らぎ(学校教育のおかげだという)を語る仕立屋の夫婦、動物を屠る伝統的な祭の様子など、いちいち興味深かった。



で、見終わった後、1540、鶴岡行きの高速バスに乗った。本当は1740発のバスの予定だったのだが、時間的都合で3本目のドキュメンタリーを見ることを断念した。チケットが1枚余ってしまったが、やむを得ない。

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