2016年2月20日土曜日

伝説の大名店、涙の大復活!!! ホーライ@西国分寺

2014年の冬と春の境目に、国分寺駅北口で長年にわたって学生やサラリーマンの胃袋を文字通り限度まで満タンにしてきた小さな名店がその歴史に幕を下ろした。店の名を「宝来」という。



老夫婦の営む、天井に置かれたブラウン管テレビのよく似合う店であった。





上の写真にみられるような、いわゆる「デカ盛り」の店で、1996~2002年に貧乏学生として国分寺に住んでいた私はもちろんたいへんお世話になった。それは府中に引っ越してからもずっとそうだった。故・川島なお美は、「私の血はワインでできているの」と言ったそうだが、私に言わせれば、「俺の肉は宝来でできているのだ」ということになる。全く比喩ではなく。

故に、閉店は文字通りの大ダメージであった。まあ、いつかこういう日が来ることは覚悟していた。その直前に奥さんが体調を崩されてしばらく休業していたということもある。消費税値上げ直前というタイミングも全く納得がいく。しかし、もうこういう店は身の回りにはできないだろうと、寂しさはどうしようもなく募った。

ところが、何とその「宝来」が、「ホーライ」と名を変えて今年1月に西国分寺駅北にまさかまさかの大復活をとげたというニュースを日曜日に耳にした。その時はすでに閉店時間の17時を超えており、月曜日は定休日。そして火曜昼、満を持して1130の開店にあわせて店を訪問した。



事前に得ていた情報によると、店は息子さんが継いでいるという。息子さんの存在は知っていた。「宝来」を手伝っていた時期があったからだ。もっとも、最後の数年は見かけることがなかったが。しかし、どうもその「息子さん」ではないらしい。私にとって驚くべきことだったが、かつて「宝来」の向かいで「あぶらや」という油そばメインのラーメン屋を営んでいた店主こそ、その息子さんであるという。

「あぶらや」は「宝来」よりも10年ほど早く閉店したはずだ。実は「あぶらや」には、営業時には「宝来」以上にお世話になった。こちらも「デカ盛り」で知られる店だった。これは「宝来」も同様だが、「ラーメンチャーハンセット」などを頼むと、半ラーメンとか半チャーハンとかではなく、どちらもフルサイズで出てくる。

しかしあの二人、親子だったのか!全然知らなかったぞ。

半信半疑のまま「ホーライ」に入った。カウンターに立つ男性は、確かに「宝来」を手伝っていた人とは違う。しかし、それが「あぶらや」の元店主であったかは、私の記憶力では判断つきかねた。

ひとまず、「カツ丼」を試してみることにした。できあがりを待っている最中、ヘルメットを被った男性が店に入ってきた。7~8分ほどで提供されたが、持ってきてくださったのは「宝来」の親父さんだった。さっきのヘルメットの人はオヤジさんだったのか!よそ見していたので気がつかなかった。




「カツ丼」(700円)は期待したとおりラーメンのどんぶりに入っていた。値段も変わっていない。付け合わせがナムルではなくマカロニなのは、たしか「あぶらや」スタイルのはずだ。それは何となく覚えている。

作り手は息子さん。オヤジさんはホール係に徹している。オヤジさんは外見こそ頑固な職人気質っぽいが、言葉遣いや物腰の柔らかさはベテランウェイターを思わせる。声も良いのですよ。そして「カツ丼」のこのタマネギの盛り方は、親子でそっくりだな!味付けも一緒。ただし、オヤジさんが作ったものの方がもう少しタレが浸透していたかと思う。まあ、染みこんでいたのは本当はオヤジさんの人生だったのかもしれないし、息子さんの「カツ丼」も年輪を重ねればそうなるかもしれない。

それにつけても久々の「デカ盛り」で、残り3分の1くらいはカツもタマネギもなくご飯だけになってしまった。ペース配分に失敗したのだ。ご飯少なめとかはないのかと、食べながらついメニューをめくってしまった自分が情けない。

いやあ、思いもしなかった大復活。しかも思い出深い2店舗が同時にとは。営業時間が1130~2030と、深夜に及ばないのが残念だが(仕事前だとダメージが残るので)、20代・30代と私の肉体形成に並々ならぬお力添えをいただいた「あぶらや+宝来=ホーライ」様、40代もぜひよろしくお願いします。